山の神の正体は?

閑話休題

最近、Amazonプライムビデオで「ヒロシのぼっちキャンプ」の動画を観ています。ジムニー(スズキの軽4WD)が欲しくなりました。キャンプも…日之影町近辺は、幾つもキャンプ場もあるのでキャンプ好きにはたまりませんね。キャンプ道具は結構持っています。私は、道具から入るタイプです。そして道具が揃うと満足するタイプです。。。

“山の神“について調べてみました。Why 山の神について調べようと思ったか?山の神は男だと思っていたからです。古事記や日本書紀に出てくる山佐知毘古(ヤマサチヒコ)だと思っていました。

ところが山の神は女性らしいのです。

女神といえば、イザナミ、アマテラスオオミカミ、コノハナサクヤヒメ、トイレの神様…ぐらいしか存じあげない。そこで、宮家準『霊山と日本人』を読んで調べてみました。

昔から日本人にとっては山は水や草木、動植物などを与えてくれる場所であり、先祖様の霊が住まわれる場所でもありさらに言えば妖怪が跋扈する奇異な場所でもあった。すなわち山や森は重要な場所だということですね。

特に狩猟を行うマタギや木こり鉱山の採掘を行う山師、ろくろを回して盆や椀を作る木地屋(きじや)←五ヶ瀬に温泉がありますね…、鉄や銅を鋳造し鍋、釜、鋤、鍬などを作る鋳物師(いもじ)には、山や森は、重要な場所であり、仕事に入る前にはしっかりと祈りを捧げていたとされる。

彼らは、山仕事に入る前に山の神の祭りを行っていた。同じ山の民だけど木地屋(きじや)や鋳物師(いもじ)にはマタギや木こりとは違う独自の山の神が存在している。

マタギ・木こり・山師は、山の神を女神としているようである。

全国各地に伝わるマタギと神との関わりの伝承を紐解くと、共通していることは、山の中で産気づいた女神のお産の手伝いをしたことで狩猟の権限を与えられたということ。このお話が元になって山の神は女性だと言われているのですね。

日之影町のお隣の椎葉村の西山猟師のお話が載っていました。

宮崎県の椎葉村の間 では、次の西山猟師の話が伝わっている。 山の神が山鳥に姿をかえて、 浜辺で磯遊びをしていた 竜宮の海竜王 の娘の乙姫と交わっ た。 その子を身 籠った乙姫は夫を訪ねて山中まできた時に、急に産気づいた。そこで ちょうど そこ を 通りかかった東山小内足と西山小内足の兄弟の猟師に助けを求めた。その折、兄はお産の穢れを恐れてさけたのに対して、弟の西山小内足は積極的に出産の手伝いをした。そして そのお礼に山の神となっ た乙姫 からその子孫 の西山 猟師は日本 六十余州の山々で獣をとる許しを得たという話である。(P185『霊山と日本人』宮家準(講談社学術文庫))

山の神は、オコゼ(オニオコゼ類の俗称)が好きらしいです。

マタギは、仕事前の儀式ではオコゼを供えたり、オコゼを包んでいた和紙をお守りとして身につけたりするのですが、なぜ魚のオコゼ?と疑問に思いますね。
女神様は自分のお顔に自信がないようで、ブチャっとしたオコゼを見ると自分の顔に安心するらしいです。詳しいことは熊本県水俣市のホームページ(水俣の民話『山の神』)をご覧になると詳しく掲載されています。

次に木こりは、仕事前の祈願としては、山の神の依代(よりしろ)とされる神木に酒と塩を供えて山中の木を伐ることの承認を得、終わると切り株に青木(あおき)の枝を供えて、山の神に木の再生を祈ります。神木とは山奥にあり幹が二股か三股に別れて窓のようになっている樹木を山の神とする。山の中に入るといかにも神様がいそうな木ってありますね。

結局、山の神は誰?名前は?

神道で祀られている山の神はオオヤマツミノミコトが最も多く、次にその娘のコノハナサクヤビメが多いらしい。コノハナサクヤビメは、鹿児島の桜島の名前の由来の一つです(サクヤビメ→さくらじま)。コノハナサクヤビメの息子がヤマサチヒコで狩猟を生業としている。あながち私の山の神様の推理も見当違いではなかったようですね。

八百万(やおよろず)の神様

神道における山の神様と山の民に伝わる山の神様がいるといういうことですね。さらに山の民でも業種によって違ってくる。
農業においては、山の神が春に下って田の神様になるらしいです。
まぁ、日本は“八百万の神“という言葉があるくらい多種多様な神様がいらっしゃいますから。
大切なことは、謙虚に敬意をもって山と関わるということでしょう。

そうそう日本では妻のことを「山の神」と呼んでいたそうです。私は妻のことを話す時は、刑事コロンボ風に「うちのカミさんがねぇ・・」と切り出すことがあるのですが、そのときは、奉って奉って“神さん“と当てはめています。

そして、林業関係者において山の日があります。その日は山に入って伐採してはならない日です。その日は12月某日‥その日は私の神さん(妻)の誕生日です( ゚д゚)

結論 山の神は、私の妻だった。

お後がよろしいようで、チャンチャン。

おまけ

桜の花見についての記述に感心しました。「サクラ」の「サ」は神様(田の神)の意味があります。「クラ」は座るところを意味しています。すなわちサクラは、“神様の座るところ“であり、桜は神の依代(よりしろ)であり花見は神をお迎えする儀式だったということです。→山の神が山から降りてきて田の神様になられるというお話。
コロナも落ち着き、お花見ができたら神様(山の神)をお迎えする儀式の名残だということを思い出しながらお酒を酌み交わしたいですね。

コメント